映画「ぼくとエリ」を見た。
感情移入することはなかったけど、面白かった、と言えると思う。
「言えると思う」だなんて曖昧な書き方をしてしまうのは
自分の中でどう消化していいか分からないからだ。
まずは、どういう映画なのかというと。
12歳の少年オスカーという主人公がいて、でもこの子はいじめられっ子で気が弱い。場所はスウェーデンだったかな。彼の住む団地に不思議な少女エリが引っ越してくる。夜にしか会えない。
というのも実は少女は吸血鬼なのだ。彼女は彼の街で人を殺して血を吸うためにやってきた。で、オスカーへのいじめを巡るすったもんだなども絡んで話は進んでいくと。
公式のプログラム700円でのキャッチコピーや
解説では「怖ろしくも、哀しく、美しい12歳の初恋」となっている。
恋愛ものってことになっているけど、
実態はそうではなかった。
以下、ネタバレな感想になるので
もし、これからこの映画を見ようと思っている方はご注意を。
あと、普段僕は映画をほとんど見ず、
なので映画リテラシーが著しく欠損している。
従って、一般の平均的に映画を見ている人や
たくさん映画を見ている人からすると
的外れな感想かもしれない。
僕が映画を見ていて思ったのは。
「弱肉強食」
という四字熟語だった。
あまりにロマンチックじゃないし、身も蓋もないなと思う。
でもこれに沿って感想を書いてみる。
今回の映画では、
弱=人間で
強=吸血鬼だ。
つまり、吸血鬼は人間の捕食者ということだ。
しかし、吸血鬼はちょっと不思議な形の捕食者ではある。
まず、太陽の光を浴びることができないし、血を吸う(人を殺す)必要がある。
したがって吸血鬼一人では生活することが非常に困難だ。
最終的な結論としては、吸血鬼は人間の介助なしには生きていくことが難しい。
その点では弱者でもある。
一方、吸血鬼の身体能力は人間をはるかに凌駕するもので
彼女と相対する人間は常にその身体を無防備にさらすことになる。
整理すると
吸血鬼は、人間の介助を必要とする弱者であり
同時に人間を主食とする捕食者でもある。
映画はロマンチックなキャッチコピーとは相反して
非常に暴力的な描写が生々しく、残酷だ。
そのせいか、エリがオスカーと一緒にいる時は
徐々に捕食者と被捕食者の緊張感が漂うことになる。
しかし、オスカーは圧倒的な強者に、
最後には完全に心を奪われる。
僕が一番緊張したのは、
エリが吸血鬼だと判明した後、
血まみれの口のエリとオスカーが初めてキスをする場面だ。
エリの口はオスカーの首筋のごく近くにある。
エリはオスカーを襲おうと思えばいつでも襲える。
オスカーは圧倒的な命の危険の前に
自ら目をつぶり、無防備にその身をさらし続けた。
僕は圧倒的な理不尽さを前にそれを受け入れることができるだろうかと自問した。
映画の序盤、エリには老人の介助者がいる。
彼もオスカーのようにエリを好きになり
何十年も介助し続けたのだろう。
(酒場の場面で周りの年寄りが皆ビールをぐびぐび飲んでいる傍らで一人牛乳を飲んでいた)
序盤の殺人1件はこの老人によるものだ。
老人は町に来てからの2件目の殺人に失敗したとき、
自らをエリの食べ物として差し出した。
僕は、エリの圧倒的な強者ぶりや
介助なしには生きられない弱者ぶりのアンバランスさと、
エリに対する老人の異常なほどの献身や
オスカーのキスの時の受け入れる様子を
つなげて何かを思った。
何を思ったかは自分でもわからない。
でも何か思った気がする。
宗教に関する何かだったかもしれない。
ひとつ、個人的に気になるのは
エリが放ったオスカーに対するセリフ。
「少しでもいいから、私を理解して」
とオスカーに馬乗りになって迫った時。
彼女の寄生捕食者としての手管なのだと言えばそうなのだけど
理解する、ってどういうことなんだろう
と、思った。
映画に対するいちゃもんではなく。
ここ数年、「好きな人を理解する」というのは
いったいどういうことを言っているのだろうか
と考え続けている。