Quantum Familiesを読んだ。面白かった。
未来のネットでは、情報がプログラムによって再生産され
無駄な情報が多くなりすぎて
誰も、ネットの情報を信頼しなくなっている。
という、状況をQuantum Familiesは描写していた。
僕はこれについて考えた。
次に僕は、
人々の少ないHMVやタワレコのことを考えた。
現在、HMVやタワレコには人はあまり集まらないようだ。
音楽を試聴している人も少ない。
僕がいくつかの大手CDショップを最近みた限りではそうだった。
僕はこれについても考えた。
両者は何かで繋がっている。
繋がっているが微妙に異なっている。
かつて。
HMVやタワレコをはじめとする大手CDショップは大盛況だった。
多くの試聴機には既に人が陣取っていた。
なんでか。
「HMVやタワレコに行けば何か新しくて刺激的な音楽に出会える」
そんな期待感があったのだと思う。
特に90年代後半からゼロ年代初頭にかけては
その期待感はピークだったのではないかと思う。
そういう意味でHMVやタワレコは信頼されていた。
間違ったチョイスもあったが、
良いチョイスもあった。
店員がいいと思ったCDを独断で試聴機に入れることができたようだ。
そこでHMVやタワレコは考えたのかもしれない。
「間違ったチョイスを減らして、
良いチョイスをどんどん増やそう。
そうすれば、もっと人が集まって
もっと信頼されるようになる」
そう。普通、人に信頼されるためには、
行動が首尾一貫していなくてはいけない。
まっとうな考えだ。
というわけで、HMVやタワレコは
もっと試聴機に何を入れるかや、店頭ライブを誰にやってもらうかを
吟味するようになった。
つまり、コントロールするようになった。
。。。とそこまで話して、
結論を言うと。
「信頼を得るためにコントロールをしようとしたことが
結果として、信頼を失う結果になった」
そういうことを僕は考えている。
なぜか。
コントロール性と信頼性は
実は微細な力学によってトレードオフの関係に
なっていると思うからだ。
コントロール性と信頼性はある程度は
比例の関係にあると思う。
首尾一貫していることが
信頼性に繋がる。
いい料理屋さんになるには
どんな日でも一定レベル以上のおいしい料理を
提供することが必要だ。
しかし、実はコントロール性が
ある一定より高い世界では、
コントロール性と信頼性の関係は
反比例の関係になると思う。
コントロール性が高ければ高いほど
信頼されなくなる世界。
なぜか。
コントロール性が高すぎると
コントロールして嘘を発信でき、
その嘘を糾弾されることすらコントロールして
回避したりつぶすことができるからだ。
少なくとも人々はそう見ると思う。
例えば。
隙がない人が信頼されないのはなぜか。
逆に、ちょっとどじな営業のほうが信頼されるのはなぜか。
大手企業が時に批判の的となるのはなぜか。
mixiが最近つまらないのはなぜか
僕は、
未来のネットは
コントロール不可能な情報があふれることによってではなく
コントロールされた情報ばかりになることによって
信頼されなくなる、と思う。
そんな妄想。