音楽関連

ミュージックビデオについて考えてみた。その2

前回の記事で書いたMVについてなんだけど、あんまり刺激的な結論には至らなかった。で、後でまた考えた。
 
 現在のテレビというものは、未だ人々に認知してもらう力がとても強い。だから、放送さえされればある程度の認知度は見込めると(視聴率1%でさえ100万人への認知だ)。一方ネットはテレビのような「認知させる力」は自明ではなく、従って「認知させる力」を別の何かから調達したり構築したり、MV自体がそれを兼ね備える必要が出てくる。そこが考慮されていないと、せいぜいがアーティストイメージの醸成ツールにとどまる、ということなのかなと。いや、アーティストイメージはそれはそれで重要なのだけど。
 つまり音楽番組などのテレビの放送枠に入り込むことがMVを使用したプロモーションの第一優先事項であり、その次の優先事項がアーティストイメージの醸成考えるという感じなんじゃないか。バンド本人を出演させた映像が多いのは、アーティストイメージの醸成には本人を出すのが有効だと考えられているからなのだろう。
 というわけで、これからのMVは「認知させる力」を兼ね備えることを要求されることが多いんではないかと思う。つまり、口コミを誘発させる力だ。
 従来のテレビで放送されることが考慮されたMVと、ネットでの「認知させる力」を考慮したMV。それらを比較するのに最適な例として、サンボマスターのラブソングがある。この楽曲は公式MVと箭内道彦氏による自主制作版が用意されている。
 
 ・公式

 ・自主制作

 
 一目見てわかると思うけど、ネット上での「認知させる力」を兼ね備えているのは自主制作版だと思う。自主制作版のほうが人々に共感を抱かせやすいと思う。その共感によって人々は、他の人に薦めたりし、結果として口コミが発生しやすくなっていると思う。
 公式MVは、僕はテレビ用のMVとしてちゃんとしていると思う。しかし、これで口コミが発生するかというと、難しいんじゃないかと思う。
 なぜ、そうなのか。ちょっと僕にはうまく説明できる自信がない。
 でもまあ、書いてみる。
 公式MVは、一つには説明的すぎるのかもしれない。
 
 ・男性が浜辺で泣き崩れて(悲しいことがありました)、
 ・傍らには焼いたラブレターが置いてあって(女性と別れました)
 ・車の中でサンボマスターのボーカルが歌って(サンボマスターの楽曲です)
 ・おぼろげに女性の姿が映って(女性のことを思い出しています)

僕はこの映像との間に距離を感じてしまう。MVが提示している物語に対して「ありがちな物語だな」と感じてしまう。感情移入はしない。
 一方、自主制作版はその粗く手ぶれしまくりの映像にもかかわらず(いやだからこそなのか)、そのように突き放した見方はできない。説明されている感じはしない。ありがちな物語とも感じない。普遍的な喪失感が凝縮されている、みたく感じてしまう。
 その仕組みは僕にはうまく説明することはできない。だけどこの自主制作版は見事に人々の共感を引き出していると思う。
 話を戻す。ともかく言いたいのは(完全に憶測でしかないが)、自主制作版は共感→口コミというルートが明確な、「認知させる力」のあるMVということだ。
 「認知させる力」を兼ね備えさせるには、何も「共感」だけではない。OK GOのMVは、ルーブ・ゴールドバーグ・マシン(ピタゴラスイッチ)的な映像によって口コミを発生させることに成功していると思う。
 

 なんか書いてていつの時代の話をしているんだよって気がしてきた。。。
 これらのことだって昔から言われてきたじゃんか。。。
 もうちょっと考えないと。。
 
 

ミュージックビデオについて考えてみた。

 昨日某所へ出かけ、いろいろな映像を見ていて、ミュージックビデオ(プロモーションビデオ、ミュージッククリップ、以下MV)について考えた。 常々MVで何なんだろう、と思っていたのだ。つまりMVはもともと、テレビの存在という前提があって流行したプロモーション手法なわけで。 ネットの出現によってMVの役割がどう変わっていくかは、一考の余地ありと思うのだ。

 というわけで考えてみた。 例によってほとんどソースも提示せずに仮説に仮設を重ねていくので、見当外れに終わるかもしれないけど。

 まず、ネットが普及するより前はMVはどのようなものだっただろうか。多分思うに、テレビという視覚メインのメディア上で音楽を宣伝する為のものだったんだと思う。テレビの台頭によってラジオが衰退し、音楽の宣伝の場がラジオからテレビへ移っていく際に発明されたものがMVなんだと思う。多分。
 とは言っても、僕の記憶ではMVというのはあまり一曲をフルで見る機会のないものだったけど。 だいたい深夜番組でかかってたり、スペースシャワーTVみたいなケーブルテレビの一チャンネルで使われていたイメージ。 多チャンネルなケーブルテレビが発達したアメリカのほうがMVの有効性は高かったんだろうと思う。
 ともかく。テレビ用のプロモーションの一手段だったことは間違いない。

 次にネットが普及してからのMVって何なんだろうと考える。テレビ上でのMVとネット上でのMVは、同じプロモーション目的であったとしても求められる特性はかなり異なってくるんじゃないかと思う。 テレビとネットの特性が異なるものである以上は。さらに言えば、MVはこれまで音楽のプロモーションのツールだったわけだけど、これからもそのままなのだろうか。

 考えてみた。テレビ上でのMVとネット上でのMVは、どう異なるんだろう。
 まず、テレビ上のMVについて。テレビ番組というものは決まった時間に放送されるので、テレビ番組は似たような生活パターンの人々と共有されるものだったと、言える気がする。ビデオの出現によってそれは多少は緩やかにはなったものの。依然としてその傾向は強いように思う。主婦が見る時間帯、学生が見る時間帯、サラリーマンが見る時間帯、家族でみる時間帯、というふうに。それによって、ターゲットの設定とターゲットに合わせた番組作り、という考え方が発生する。MVもその影響を受けていると思う。深夜番組(学生向け?)で放送されるべきMV、ゴールデン(家族向け)で放送されてもよいMV、というふうに。また、テレビ番組の一部としてのMVという面では、リアルな人間関係の人々と共有される傾向が強いように思う。家族で同じ部屋でテレビを見るという習慣が日本では浸透していたし、もっとも生活パターンが似ている人々というのは、クラスメイトや職場の同僚だからだ。
 まとめると、テレビ上のMVは、

 ・似たような生活パターンの人々と共有される。
 ・リアルな人間関係の中で共有される。

傾向が強いと考えることができそうな気がする。
 次に、ネット上でのMVはどうなんだろう。 現在のネットではTwitterやmixi、facebookなど、程度の違いはあれど、リアルな人間関係を超えて人々と情報をやり取りするサービスが隆盛だ。また、Youtubeなど動画サイトによって人々は好きなタイミングで動画を見ることができる。大きいのはGoogleなど検索サイトによって人々が見たい動画を検索して探すことができることだ。
 そこから思うに、ネット上のMVは

 ・それを見たい人々の間で共有される。
 ・リアルな人間関係にあまり影響されずに自由に閲覧される。

という傾向があると言えるんじゃなかろうか。またSNSの存在によって、

 ・魅力的なMVの場合、口コミが発生し再生数が大幅に増える。

というのがある。テレビの場合、例えば友人に薦められても、見たいと思った時に 番組で放送されるわけではないので、口コミはネットほど発生しにくいように思う。
 多分極端な話、テレビの場合「5分なら5分だけ放送の時間枠を埋める」ということが 最大の重要事項だったんだと思う。 そこまで素晴らしい出来じゃなくても、映像がありさえすれば 後は、楽曲自体の人気やアーティストの人気、その他諸々のバランスで放送が決定されたわけで。 MVの出来によって放送されるかどうかが判断される、 ということはあまりなかったんじゃないだろうか。 そして、放送さえされればプロモーションという目的、 つまり「楽曲を広く認知させる」という目的は達成されている。 しかし、ネットの場合はMV自体の出来の良さが その再生数(=認知)にダイレクトに影響するように思う。 つまり、MVというものを楽曲のプロモーションツールと捉えた場合 ネット上のMVでは、その出来の良さが認知度アップに貢献する、ということだ。

 いや、当たり前っちゃ当たり前なんだけど。
 テレビの場合は、視聴率の高い番組にいかにMVを忍び込ませるかのほうが 重要なわけですよ。きっと。

 つづく。

音楽はまず聴かれないことには始まらない – 後編

というわけで、

・音楽はまず聴かれないことには始まらない – 前編
http://www.shishidohinata.com/1009

の後半です。


音楽はまず聴かれないことには始まらない

そういうわけで、邦楽の売り上げが落ちている大きな要因として、まとめると、
実は人々が音楽と偶然出会うことがあまりなくなっているんじゃないかと。

YoutubeやらMyspaceやらいろいろ音楽を聴ける環境にはあるけど、
それらはまず「この音楽が聴きたい」というニーズがあって
初めてアクセスする場所であって、
偶然出会う場所として最適化されている訳ではないと思う。

僕が自分のホームページを作った時にいろいろな人に言われた
「SEOをきちんとやらないと」というのに疑問を持ったのと同じだと思う。
SEOはニーズが潜在顧客の中にあって初めて成り立つ。

音楽というのは、はじめにニーズがあるのではなく、
はじめに「音楽を聴く」という行為があって初めて成り立つ。

根本的には、ある音楽を聴きたいと思うのは、
その音楽をかつて聴いたことがあるからだ

あるいは、
ある「人」の音楽を聴きたいと思うのは、
「その人」の音楽をかつて聴いたことがあるからだ。

音楽を聴く機会が減れば、音楽を聴きたいと思う人が減るのは当然だ。
音楽を含め娯楽は全て、それと接することが、
その良さを感じることのトレーニングになっている訳で。

だから、犬が歩いていたら棒に当たるような
音楽と邂逅する場所というのを
僕ら(音楽業界の人間)は再構築しないといけない。


インフラを整えることが大事

というわけで音楽業界は今、
人々が音楽を聴く為のインフラにお金を投資すべきだと思う。

他業界からの例を幾つか見てみる。

自動車は、道路というインフラに全く投資していない

まずはこの記事

・いつ来るか分からない15分のために常に準備しているのがプロ、デザイナー奥山清行による「ムーンショット」デザイン幸福論
http://gigazine.net/news/20110908_moonshot_design_cedec2011/

この記事はほかにも非常に面白い話題満載なのだけど、その中で、

「自動車は、自動車のやるべきインフラ整備という一番大きな宿題をやっていない。
だから街の中で全然生き生きとして使われていない。」

という発言があった。こういう問題意識が必要なんだと思う。

鉄道会社の戦略

東急電鉄による多摩田園都市の開発 http://bit.ly/oZNkZc
「電車で儲かるにはそれに乗る人を増やせばいい」という側面があったはずだと思う。

漫画雑誌の効果

これも憶測だけど、赤字が多いという漫画雑誌、立ち読みされる漫画雑誌。
しかし漫画雑誌で面白い作品に出会う人は多いんじゃないかと思う。
漫画雑誌は「新しい作品と出会う」という点においてとても
優れた仕組みだと思う。


どうやってインフラを整えようか

いろいろ難しさはあると思うけど、幾つか参考にできそうなものを。

高松聡氏の「教えてgoo」プロモーション

http://biz.toppan.co.jp/gainfo/cf/18_takamatsu/p1.html

「教えてgoo」のプロモーションで街や駅の広告看板を使って展開するやつとか、
カップヌードルのCMでスペースシャトルを広告媒体としてしまうとか
今まで存在しなかったメディアを作り出したり
古いと言われていたメディアを新しい視点で再構築したりという
視点が必要なんじゃないだろうか。

Twitter

月並みなんだけど、僕はTwitterのようなSNSは大変可能性があると思う。
Twitterが特に1、2年前面白かった理由は、

Twitterとはなんだったのか——「コンテンツ」としての日本Twitterユーザー(前編) – アーキテクチャ編
http://d.hatena.ne.jp/gotto-s/20091129/1259499363

で詳細に分析されているけど、
つまりは、面白い人を知る機会が格段に増えたからだと思う。

そしてなぜ、それが可能だったかというと、
Twitterの「テキスト情報がプッシュ配信される」アーキテクチャによるものが大きいと思う。

プッシュ配信をフィルタリングする仕組みがフォローという機能な訳だけど
人をフォローするだけだから、流れてくるテキストを完全にはコントロールできない。
テレビやラジオもプッシュ配信だから音楽の流行を作り出せたのだと思う。

売り上げを稼ぐのも大事だけど

ここ2、3年、音楽データ販売サイトやCDのネット販売などが盛り上がっていた気がするけど
それらはニーズが発生した後に必要な、いわば「受け皿」であって、
多分、音楽業界に最優先で必要とされているものではないと思う。

僕らが今考えるべきなのは「どうやってニーズを増やすか」だと思う。


最後に

以上です。大手CDショップの視聴機に変わる出会いの場所に
投資すべきというお話でした。

我ながらかなり乱暴な文章だ、、、
ブログを再開したばっかだから、ほとんど誰も読むことはないだろうけど
割と的を得た意見なんじゃないかと思ったりしている。

ブログ再開は、目標としては週1回の更新を考えています。
今回はこんな固い内容だけど、

普段はもっとゆるーい内容を書くつもりです。

ここまで読んでくれて、ありがとうございました。

音楽はまず聴かれないことには始まらない – 前編

ブログ再開します。

今から書くことは、問題意識として

「邦楽って衰退する一方だなあ」

というのがあって。結論としては

「音楽はまず聴かれないことには始まらない。」
「音楽と偶然出会う場所が縮小傾向」

という話。
それで章立てとしては

  • 要約
  • 僕はどこで音楽と出会っていたのだろう
  • 最近の風潮の勝手な憶測
  • 音楽はまず聴かれないことには始まらない
  • インフラを整えることが大事
  • どうやってインフラを整えようか
  • 最後に

という感じ。2回に分けます。

要約

昔はテレビやラジオやCDショップで邦楽を聴きまくっていたけど、
今はそれぞれ邦楽を聴く場所としては縮小傾向だなあと。
音楽というものは、聴かないことには良さがわからないし、
聴き続けないと欲望も育たない類いのもの。
だから、邦楽がこのまま廃れていくのを防ぐには
まずは邦楽を手軽に聴けるインフラを作ったり支援したりすることが
必要なんじゃなかろうかと。
(ポピュラー音楽というものは
思想的に観点からして前時代のもので遅かれ早かれ衰退が約束されている
みたいな話もありそうだけど)

僕は音楽とどこで出会っていたのだろう

こんな感じだった。
・小中学時代:テレビのドラマや音楽番組で出会っていた。
・高校大学時代:CDショップの視聴機やラジオで出会っていた
・社会人:CDショップの視聴機、ごく短期間だけどMySpace

邦楽が衰退する一方のについての勝手な憶測

幾つか、邦楽が衰退する原因を考えてみた

邦楽は恥ずかしい

僕はテレビを持っていないので100%憶測なんだけど、
今テレビで流れている音楽ってあまり面白くなさそう。
というのも、ラジオはほんの時々聴く機会があるのだけど、
そこでパーソナリティのお喋りの合間に時々流れる邦楽が
ものすごく恥ずかしい、と感じるからだ。
つまり、同じような邦楽がテレビでも流れているんじゃないかと。
どう恥ずかしいかっていうと、青臭いだけならまだいいんだけど
消毒されているというかなんというか。
このページが結構代弁してくれている感じ。
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1070640450

というわけで、既存の邦楽好きはもはや最近の邦楽をあまり聴かないんじゃないか。
特に洋楽も両方聴く、みたいな人たちは。

若者のテレビ離れ

そもそも若者はテレビをあまり見ないらしい
http://www.garbagenews.net/archives/1814508.html
僕はもはや若者ではないけど、家にテレビを置いていない。
だけどなんというか、テレビやメジャーレーベルが奨める音楽に対する
信頼性というのが減っている気がするなあ。

ラジオの音楽離れ

これは数年前からなんだけど、ラジオって音楽をあまりかけなくなった気がする
基本的にお喋りばかりで、ちょっと休憩みたいに音楽が流れる。
そういえば、KARAとかKPOPってあまりラジオでかからない気がするんだけど
気のせいだろうか。まあ、映像と一緒で初めて成り立つものではあるのかもしれない。

大手CDショップ離れ

大手CDショップになぜだか僕は行かなくなってしまった。
昔は帰宅途中でわざわざ寄っていったりして視聴機で聴きまくっていたというのに。
Youtubeなどネットの影響で視聴機の必要性が薄まったというのもあるだろうけど
大手CDショップは「新しい音楽を提案する」機能もあったはず。
それが弱まった気がする。多分いろいろな要因があるのだろう。
下記を読んで、そう思った。

・HMV渋谷店が8月に閉店で思うこと。
http://togetter.com/li/27740

まあ、そんな感じ。後編はじゃあどうすべきか、という内容かな。。。

月刊シシドヒナタ、終了のお知らせ。

こんばんは。シシドヒナタです。
突然ですが、月刊シシドヒナタを終了します。

2010/2/4から初めて毎月1曲ずつ、
1年で12曲を配信する、
その後アルバムとしてリリースする、

と宣言していましたが、
3ヶ月の曲作り期間を除いた、
2011/4/4までに間に合いませんでした。

申し訳ありません。。。

終了するる理由はいくつかあります。

・12曲の配信を優先するより、アルバムリリースを優先したい。
・既に月刊じゃなくなってる以上、月刊は名乗れない。
・無理矢理月刊でリリースするより
 納得できる音源を作って発表したい。

シシドヒナタの曲を聴いてくれる方々への考慮というより
完全に制作者(シシド)側の都合によるものです。
つまり、ひとえにシシドの楽曲制作能力の不足によるものです。
非常に申し訳なく思っています。

その他幾つか、発表することがあります。

2ndアルバム2011年秋発売

月刊シシドヒナタ終了の代わりと言っちゃあれなんですが
2ndアルバムを秋に発売します。
楽曲は基本的に月刊シシドヒナタにてリリースしたものを
再ミックスし、曲によっては再レコーディングし、
リリースします。
これからリリースに向けていろいろ準備や仕掛けをしていきます。
楽しみにしていてください。

新曲のリリースについて

これからしばらくは、新曲については
月刊と決めず、リリースできるタイミングとなった時点で
都度、アナウンスし、リリースしたいと思っています。
皆様気長にお待ちくださいませ。。。

月刊シシドヒナタのリリース曲について

YouTubeにて視聴できるようになっていましたが、

・メルヘン
・川と花
・セル塩麺DEATH
・サンキュー

のみ視聴できるようにします(変えるかもしれませんが)。
mp3の購入はアルバムのリリースまで可能です。

その他

リミックス用トラックは今後もダウンロード可能にします。
好きに使ってください。
多分アルバムリリースの時点で、
リミックス用トラックはよりクオリティの高いものに差し替えます。
また、この一年間Twitter上で呟いていた
いくつかの企画は今年実行に移すつもりです。

以上で、月刊シシドヒナタを終了します!
一年間つきあっていただき、本当にありがとうございました!

これからもシシドヒナタの楽曲のことを
どうかよろしくお願いいたします。

シシドヒナタ

1年間の反省その3(その他)

1年間の反省の最終回です。内容はその他的なものです。ぐずぐずです。

■空撮イベント
 去年の2月は、シシドはUstreamとiPhoneを使って空撮の生配信を行った。全く音楽に関係なかったのだけど、あの時考えていたのは、通常のUstreamの配信と違って、Twitterユーザに配信者側にも回ってもらって楽しんでもらう、ということだった。
 前回のエントリで書いた、Ustreamの共時性とも通じる話なのではないかと思う。
 空撮の現場である池袋西口公園に来てくれたのは、さすがにもともとの友人が多かったが、アナウンスや段取りや準備がきちんとされれば、現場にもっと来てもらえたかもしれない。風船を使った空撮という非日常感溢れる催しだった為か、Ustreamから観ている人達もわりと盛り上がっていた気がする。
 空撮については春にでもまた行いたいと思う。

■密室ライブ(予定)
 去年の秋ごろから「密室ライブをやる!」と宣言していたが、まだアナウンスできる状態になっていない。何をやろうとしているのかというと、Ustreamなどの配信をなくしてライブをすると。なるべく距離感の近いようにして演奏を行うと。それによって、より密な関係を作ると。前述の用語で言えばエンゲージメントの強化ということになるのだろうか。

■非日常の提供
 ここまでその1その2、と書いてきて思い至ったのは、アーティストには非日常の提供が期待されているのだなあ、ということだ。いやまあ、当たり前の話なのかもしれないけど。
 例えば、友人グループの中で突拍子もないイベントを計画する人っていると思う。そういう人が一人でもいると、普段なら体験しないようなことが体験できたりする。その延長線上にアーティストはいるのかもしれないな、と思った。
 だから、僕は作品でもイベントでも「シシドヒナタがいなかったらと体験できなかった」と思ってもらえるようなものを提供しないといけないのだ。多分。

いやあ、話にまとまりがなくなってきました。なくなりついでに更に。

■世界観をプレゼンし続けること
 結論としては、エンゲージメントの構築については、なかなかちゃんとやれていると。しかし、リスナーの情報発信にあまり繋がっていない、という現状がこれまでの記述で見えてくる。じゃあ、どうすれば情報発信しやすいのかなと、考えたときに、世界観の共有がまだあまりされていないのかもしれないと思ったりした。
 正直なところ、シシドヒナタの世界観に同時代性があるかと言われると、あまりないかなと思う。だから、共有はされにくい気もする。
 まず第一に僕の楽曲は連帯を目指していない。ただ、メロディと歌詞とサウンドで、ある特定の状況を演出するだけだ。そして、ある種の感傷に浸らせるようになっている。感傷の内容は、多分人それぞれ感じ方が変わってくるんじゃないかと思う。それは共有と言えるのか、疑問だ。仮に共有だとしてもそれが情報発信に繋がるかというと、どうも期待できそうにない。それ以前に感傷は暗くて前向きじゃなくて嫌いだ、と感じてしまう人もいるだろう。
 でも、僕は感傷ってそう悪くないと思っている。感傷とは辛いことや悲しいことを、辛いまま、悲しいままに味わうということだ。辛いまま、悲しいままに、美しいことだと感じることだ。美しいと感じることは、辛いことを辛いとしか感じられないことより、ほんの少しだけマシだと思う。
 死んだ友人を夢想したり、歪んだ特別意識から春を嫌悪したり、自虐的に好きな人の恋愛相談に乗ったり、目指していた夢が砕け散った後の毎日がいたたまれなかったり、散らかしたコンビニ弁を蹴飛ばしたり、自分の人生が全く自分でコントロールできていない不安に襲われたり、そういったことに素晴らしさや美しさを見出してしまう魔法を僕は音楽でかけたいのだ。
 そういったことを多分、あまり伝え切れていないのだろう(それは僕の音楽が力不足であるということでもある)。そういうのは実生活でもあまりわかってもらえないものだ。だから、僕はもっとプレゼンすべきなのかもしれない。例えば、密室ライブでエンゲージメントを強化するというなら、そういったことに対する感受性をうまく伝えられるものにすべきなんじゃないだろうか。そのあとどうすべきかは何も見えていないけど、わからないので、まあ、やった後で考えることにする。

やはり、どうも考えが進まないが、しょうがない。
この辺で、1年間の反省は一旦終了にします。
長々とおつきあいありがとうございました。
これからもシシドヒナタをよろしくお願いします。

シシドヒナタ

1年間の反省その2(Twitterのエンゲージメントとか)

さて。1年間の活動の反省続きです。

■音楽メディア
 新しい活動の仕方だから、メディアに少しは注目してもらえるのではないかと期待していた部分があったが、全くそんなことはなかった。全く取り上げられることはなかった。
 いくつか原因を考えることができる。もちろん、楽曲に魅力を感じてもらえなかった、というのもあるのかもしれない。シシドヒナタの活動の規模があまりにも小さいから相手にしてもらえていない、というのもあるだろう。また、「新しい活動スタイルを積極的に紹介して、新たな流れを作る」という視点を持ってもらえていない、という邪推もできる。似たような活動をしているアーティスト達(僕を含む)がどうなっていくのか、今は様子を見ている、というところが現状なのかなあと思ったりも。もっとも、全く接触がないので、各音楽メディアがどのように現状を見ているのかわからないのだけど。

■Twitterによるエンゲージメント
 Twitterについては、口コミとは別のところで、非常に恩恵を受けたと思う。それは、広告業界の用語でいう「エンゲージメント」というやつだ。エンゲージメントというのは「顧客と深いつながりを築く」ということらしい。その観点から言えば、まずまずだったのではないかと思う。
 今年は多くの見知らぬ人たちとTwitter上で知り合い、作る音楽を支持してもらい、また、応援してもらえたと思う。Twitterがなければこのような出会いは発生しなかっただろう。人付き合いがあまりうまくないシシドにいつもよく付き合っていただけて感謝しきりなのである。
 もしかしたら、そういった状況を「馴れ合い」と見る人もいるかもしれない。でも、実際は楽曲が悪ければ「馴れ合い」にすらず、スルーされるのだ、と思う。
 僕がエンゲージメントの構築に関してまずまずの成果が得られたのだとすれば、それは、作品を作ることを含めた音楽活動の過程を全てTwitter上で見せていたからなのじゃないかと思う。

■ツイートの有効時間とUstream
 個々のユーザのフォロー数によるが、一つのツイートの有効時間はそんなに長くはない。僕もそうだが、基本的にユーザは今現在表示されているツイートしか見ないのではないかと思う。だから、大きな口コミが発生するには、まとまった時間に多くの関連するツイートが発生する必要があるのだろうと思う。その点において、Ustreamは有効だと感じた。つまり、

自分のTL上で、シシドヒナタのUstreamに関するツイートが頻繁に出てくる。

それでシシドのUstreamを見る。

シシドの楽曲を聴いて気に入る。

という流れがけっこうあったようだった。
 Ustreamをやっている側としては、Ustreamの画面で、全てのツイートがきちんと表示されているわけではなく、全く更新のされない期間が結構あったりして(その場合は手動で画面を再表示させるのだけど)聴いてくれる人達の反応を汲み取りきれていない感じもした。

■Ustream今後
 Ustreamを使ったライブは、Twitterユーザに共有できる時間を提供する。この性質に着眼して、もっとうまく盛り上げることができるのかもしれない。具体的にアイディアが思いつかないけど、例えば、今のUstreamの音楽ライブは配信者とTwitterユーザとが繋がっているだけだが、Twitterユーザ同士が繋がることができるような工夫ができるかもしれない。野球場でウェーブが発生するような。ライブでの手拍子のような。あるいはコール&レスポンスのような。宍戸の音楽に限っていえば、あまり連帯を促すような音楽ではないと思うので、難しいのかもしれないが。。

■再びツイートの有効時間について
 前述の通り、一つのツイートの有効時間は総じて長くはない。だから、本当はアナウンスには向いていないメディアなのだろう。だから今は、その情報伝達の確実性を確保する手段として、メルマガを考えている。楽曲をリリースしたときに、それを欲している人に確実に伝えるにはよい方法なのではないかなと思う。

まだあります。
続く。

シシドヒナタ

1年間の反省その1(Twitterの口コミについて)

 えーと。
 2010年も終わり、この一年の音楽活動について振り返ってみたいなと思う。おおまかに次のような活動をしてきた。

・ホームページ上で月一回の頻度で楽曲をリリース
・Twitterにてリスナーと交流していく中で
 リリースのアナウンスなどを行う。

 始める前には、ありがちのことだが、ずいぶんと大きく皮算用していた。1年たって、自分を取り巻く環境が変わったのかと言われると、あまりそうでもない。とはいえ、全く変わっていないのかというとそういうわけでもない。状況を打開できなかった原因として

・楽曲自体の魅力の不足
・各局面での判断や施策の不徹底

つまり、力不足だったとは言えるのだが、その前に、目論見と現実を対応させつつ雑感を書いてみたいと思う。

■ツイートによる口コミ
 目論見としては、Twitter上で大きな口コミが発生し、多くの人に認知されることを期待していた。しかし、全く発生しなかったわけではないと思うが、期待するほどではなかったなと思う。
 思うに、Twitterにおいて口コミの1要素であるリツイートは、ユーザーが、自分のフォロワーにとっても有益だと判断した場合のみ発生する。フォロワーにうざい思いをさせてしまうからだ。ユーザーが仮にシシドヒナタを応援しているのだとしても、フォロワーのTLを応援ツイートで埋めてしまうのも心苦しいので、あまり頻繁にはリツイートできない。
 そういう意味ではシシドの楽曲は、サザンや宇多田ヒカルのような誰もがよいと思うだろうと確信させるには至らないものなのだろうと考えることもできる。そんな中で感想をツイートしてくれたり、アナウンスをリツイートしてくれたりしてくれる方々は、シシドにとって非常にありがたかった。

■ツイートによる認知
 しかしながら、大きな口コミが「まだ」発生していないというだけなのかもしれない、と、期待もしている。誰もが面白いと思うようなネタ系のツイートは、口コミの伝播が非常に早いように思う。あっという間に広がる。それと同様のことを自分の音楽について求めるのは、そもそもが間違っているのかもしれない。
 シシドのフォロワーのフォロワーは、時々、「シシドヒナタ」という言葉を目にしていることだろう。その記憶は、いつかTLに楽曲へのリンクが流れてきたときなどに、視聴する敷居をいくらか下げてくれることだろう。つまり、道端で遭遇する広告のように、感想ツイート及びリツイートは機能してくれるんじゃないか、と今は思っている。
「TLでときどき「シシドヒナタ」という名前が流れてきて、ちょっと気にはなっていたんです」という感じで僕のことを知ってくれる人が少しずつ増えている気もする。

続く。
あんまり対したことは書けていないけども。

シシドヒナタ

ホワイトリストのモデル案

(1)現状:ホワイトリストが散在するのは許諾確認がめんどい
 ○        ┌┐           ○ 
 ┼ ---->  ││  <------- ┼ 
 人 許諾を確認  └┘  ホワイトリスト をアップ 人 
閲覧者 |    許諾者1の        許諾者1
    |    Webサイト
    |
    |     ┌┐           ○ 
    --->  ││  <------- ┼ 
   許諾を確認  └┘  ホワイトリスト をアップ 人 
         許諾者2の        許諾者2
         Webサイト

(2)対策:集約サイトを作る→許諾確認が楽。
 ○       ┏┓  収集      ┌┐           ○ 
 ┼ ----> ┃┃ <------- ││  <------- ┼ 
 人       ┗┛   |      └┘  ホワイトリスト をアップ 人 
閲覧者     集約サイト |     許諾者1の        許諾者1
              |     Webサイト
              |     
              |      ┌┐           ○ 
              ------ ││  <------- ┼ 
                     └┘  ホワイトリスト をアップ 人 
                    許諾者2の        許諾者2
                    Webサイト

(3)集約サイトの収集方法
許諾者がホワイトリストのURLを集約サイトに登録することで、集約する。

 (a) 許諾者がホワイトリスト をアップ
   ┌┐          ○ 
   ││ <------- ┼ 
   └┘ ホワイトリスト をアップ 人 
  許諾者1の        許諾者
  Webサイト

 (b) 許諾者がホワイトリストのURLを登録する。
   ┏┓          ○ 
   ┃┃ <------- ┼ 
   ┗┛ ホワイトリストURLを登録 人 
  集約サイト        許諾者
  
 (c) 集約サイトがホワイトリストを収集する。
   ┏┓          ┌┐  
   ┃┃ -------> ││  
   ┗┛ ホワイトリスト を収集  └┘  
  集約サイト       許諾者1の
                          Webサイト

(4)その他。
 (a) ホワイトリストはXMLファイルとする。
  各許諾者がWebサイトにアップするホワイトリストは
  XMLファイルとする。
  それにより、プログラムが扱いやすくなる。
 (b) ホワイトリストに入れるの主な要素
  ・楽曲情報
   曲名、作曲者、作詞者、許諾内容など
  ・権利者情報
   氏名、連絡先など
  ・許諾内容
   Ustreamで放送OKとか

(5)本人確認の仕組み
 基本的に本人確認はしない。
 集約サイトにて、ホワイトリストのURLを公開するので、
 ホワイトリストをアップするWebサイトが
 本人の正当性を担保する方向。

 怪しいと発覚した時点で
 直接利害関係者同士で話し合ってもらう。
 ホワイトリスト提示者は必ず連絡先を書いておくこと。
 (連絡先=メールアドレス)

 (a) 競合している場合
 楽曲が競合している場合は、当事者同士で話し合っていただく。
 
 (b) 怪しい場合
 怪しい場合は、ホワイトリスト提示者に直接連絡を取って
 話し合っていただく。
 
 (c) 連絡が取れない場合
 集約サイトに連絡を取る。
 集約サイトが連絡を取り、一定期間返事がない場合、
 削除する。
 
 それとは別にこういうやり方も考えられる↓
 
 (c) 信頼性の導入
 閲覧者が楽曲とURLを照らし合わせ、
 信頼できる場合、「信頼性↑」をクリックし、
 信頼できない場合、「信頼性↓」をクリックする。
 それにしたがって信頼値を計算し、表示する。
 ある値より低くなった場合、リストから削除する。

(6)この方法のメリット
 ・集約サイトは集約することだけに特化させることができる。
 ・技術的なハードルが低い
 ・集約はするがその信頼性は利用者次第。
 ・ユーザ登録などの囲い込みが必要ない。
 ・集約サイトで表示している情報の責任は
  許諾者に完全にゆだねることができそう。
  だって自身のWebサイトに情報があって
  それを転載しているだけですもの。
 ・将来的に閲覧者が楽曲利用時に、ワンクリックで
  放送曲目を作成できるようにできればなおすばらしい。

芸術系コンテンツデータ販売のインフラとしての少額課金システム

twitterで、音楽を売るということについて
金曜日あたりに少しずつつぶやいていたのだけど
カオマンガイを食べに行ってしまって
途中で終わってしまっていた。

だから、まとめ及び補足をかねて
再度、書いてみる。

さて。
音楽を売るということが
データを売ることと等しくなりつつある昨今。

(もちろん高齢者を中心とする
PCを扱えない人たちにとっては
CDが今後もメインの音楽媒体となるわけだけど)

音楽を売るということはどういうことなのだろうか。

あ、ここでは
録音物としての音楽データを売る行為について
話してます。
音楽を売る=ライブのチケットを売るというのは
ひとまず置いておきます。
(僕がライブしないので)

音楽を聴く人たちにとって
音楽データというのは
その人が望めば、たいていの場合無料で手に入る。
ちょっとした一手間かけるだけで。

YouTubeを検索すれば
たいてい聴きたい楽曲はあがっていて
タダで聞くことができるし
Youtubeにあがっていれば
専用サイトでファイルにしてPCにダウンロードできて
iPodなどに入れてしまうこともできる。
P2Pソフトを使うまでもなく。

もちろんP2Pソフトを使っても
無料で手に入る。

また、友人からタダで音楽データを
CDRに焼いてもらうこともできる。

だから、彼らにとって
音楽データというモノ自体の値段はゼロ円だという
感覚があってもおかしくはない。

僕もYouTubeで音楽を漁ってしまう。

制作者側から見れば
音楽データの値段は、
制作コストと流通コストに分かれていて
インターネットの普及で流通コストが
著しく小さくなっている。
しかし、制作コストはそれほど小さくなってはいない。
つまり音楽データの値段はゼロ円にしたくない。
だから、リスナーと制作者間で
音楽データの値段の感覚にギャップが生まれている。

音楽データという
01000100…みたいなビットの配列は、
いくらでも複製可能だけど
その並びを作るには時間とお金がかかっているというわけだ。

で。
音楽データ自体はタダという感覚の中で
それでも音楽データにお金を払う動機があるとすれば。

「ビットの並びを作ってくれる人への支援」
といった色合いを帯びてくるのではないかと思う。

なぜなら、音楽を愛好する人にとって
音楽データはタダだけど、
それがなくなるのは困るからだ。
これからも音楽を作っていってほしい、だから支援として
音楽データにお金を払う、
という動機と行為はありうる、と思う。

で、そのようにリスナーがいわば
サポーターへと変化するにつれて
つまり、作品ではなく人に対してお金を払うというふうに
変化するにつれて
音楽の評価も作家主義的な傾向の評価に変わっていくのだろうと思う。
作家主義というのは
「あの人が作った音楽だから、すばらしい」
「あの人が作った音楽だから、お金を払う」
という考え方のことだ。
そして、それに呼応して
音楽制作者も作家主義的に評価されやすい作品を作る
方向へとシフトしていくと思う。

例えば
・作品というより生き様を見せる作風
・作品というより面白いパフォーマンスをする作風
・イケメン
・毎回すばらしい作品を作る

最後は王道ですけど。
まあ、なんというか、すくなくとも日本はもともと作品単体より
人を評価する傾向が強いと思うけど
よりそれが極端になるのではないかなと。

つまり、作品単体だけで見れば音楽データでは
ロングテール現象は起こりにくい状況と言える。

また、作家主義的傾向が強まる中
まつきあゆむさんが行っている
M.A.F.は合理的だと言える。
なぜなら、あれはまつきあゆむさん個人を支援する基金だからだ。

ここまでをまとめると

・音楽データの無料環境の普及
・リスナーと制作者との価格感覚のギャップ
・リスナーのサポーター化と作家主義的傾向

という話なのだけど

リスナーのサポーター化は、
今話したように
「一手間かければ無料で音楽が手に入る」
という前提がある。
なので、その一手間よりも、簡単に、より少額(10円とか)で
音楽で手に入ることができれば
その前提が揺らぐ。

従って
少額課金システムの出現と普及が行われれば
一貫して続いている作家主義的傾向からの揺り戻しが
期待できると思う。

少額課金システムというのは
1円とかそのくらいの少額からお金を払うことができるシステムだ。

それが、普及して
ユーザーが手間をかけずに1クリックくらいで
気に入った瞬間に支払いができるようになれば
作品が気に入ったから、という動機で音楽データを購入するようになる、
と思う。

で、僕が思うに、
世の中の音楽、映像、文章、画像、といった分野で
商売を成り立たせる方法として、
「少額課金システムの出現と普及」は
とても有効だと思う。
そして、そのあたりは既にアップルやGoogleやAmazonが狙っていると思う。

似たものとして携帯電話での
ネットの課金の仕組みがあげられる。

で、ここまでは
実は去年の秋・冬くらいにtwitter上で
つぶやいていたのだけど、

そこから知った新たな情報として
少額課金システムを阻む要因があるということ。
小額課金では一回の取引での金額が少ないので
一回の取引にかかるコストの方が上回ってしまう可能性があるようだ。
よくわからないけど。

例えばクレジットカード会社が
一回の取引に10円のコストをかけているとすると
10円の取引では利益が出ないということになってしまう。
この辺がクリアできれば
少額課金システムは成り立つのだろうと思う。

amazonなど現行サイトでの課金で
1ヶ月ごとにまとめて払うサービスがあったりしたら
この少額取引コスト問題は解消できるのかな。

現在の作家主義的傾向にしろ
少額課金システムの少額取引コストの問題にしろ
どちらもわりと過渡期の問題であるには違いないと思う。

グローバル化とは、資本の流動化であるらしいから、
グローバル化が進むなら、流動化の究極である
少額課金のインフラもいずれなんらかの形で整備されるんじゃないかなと
思ったりする。