音楽関連

ホワイトリストのモデル案

(1)現状:ホワイトリストが散在するのは許諾確認がめんどい
 ○        ┌┐           ○ 
 ┼ ---->  ││  <------- ┼ 
 人 許諾を確認  └┘  ホワイトリスト をアップ 人 
閲覧者 |    許諾者1の        許諾者1
    |    Webサイト
    |
    |     ┌┐           ○ 
    --->  ││  <------- ┼ 
   許諾を確認  └┘  ホワイトリスト をアップ 人 
         許諾者2の        許諾者2
         Webサイト

(2)対策:集約サイトを作る→許諾確認が楽。
 ○       ┏┓  収集      ┌┐           ○ 
 ┼ ----> ┃┃ <------- ││  <------- ┼ 
 人       ┗┛   |      └┘  ホワイトリスト をアップ 人 
閲覧者     集約サイト |     許諾者1の        許諾者1
              |     Webサイト
              |     
              |      ┌┐           ○ 
              ------ ││  <------- ┼ 
                     └┘  ホワイトリスト をアップ 人 
                    許諾者2の        許諾者2
                    Webサイト

(3)集約サイトの収集方法
許諾者がホワイトリストのURLを集約サイトに登録することで、集約する。

 (a) 許諾者がホワイトリスト をアップ
   ┌┐          ○ 
   ││ <------- ┼ 
   └┘ ホワイトリスト をアップ 人 
  許諾者1の        許諾者
  Webサイト

 (b) 許諾者がホワイトリストのURLを登録する。
   ┏┓          ○ 
   ┃┃ <------- ┼ 
   ┗┛ ホワイトリストURLを登録 人 
  集約サイト        許諾者
  
 (c) 集約サイトがホワイトリストを収集する。
   ┏┓          ┌┐  
   ┃┃ -------> ││  
   ┗┛ ホワイトリスト を収集  └┘  
  集約サイト       許諾者1の
                          Webサイト

(4)その他。
 (a) ホワイトリストはXMLファイルとする。
  各許諾者がWebサイトにアップするホワイトリストは
  XMLファイルとする。
  それにより、プログラムが扱いやすくなる。
 (b) ホワイトリストに入れるの主な要素
  ・楽曲情報
   曲名、作曲者、作詞者、許諾内容など
  ・権利者情報
   氏名、連絡先など
  ・許諾内容
   Ustreamで放送OKとか

(5)本人確認の仕組み
 基本的に本人確認はしない。
 集約サイトにて、ホワイトリストのURLを公開するので、
 ホワイトリストをアップするWebサイトが
 本人の正当性を担保する方向。

 怪しいと発覚した時点で
 直接利害関係者同士で話し合ってもらう。
 ホワイトリスト提示者は必ず連絡先を書いておくこと。
 (連絡先=メールアドレス)

 (a) 競合している場合
 楽曲が競合している場合は、当事者同士で話し合っていただく。
 
 (b) 怪しい場合
 怪しい場合は、ホワイトリスト提示者に直接連絡を取って
 話し合っていただく。
 
 (c) 連絡が取れない場合
 集約サイトに連絡を取る。
 集約サイトが連絡を取り、一定期間返事がない場合、
 削除する。
 
 それとは別にこういうやり方も考えられる↓
 
 (c) 信頼性の導入
 閲覧者が楽曲とURLを照らし合わせ、
 信頼できる場合、「信頼性↑」をクリックし、
 信頼できない場合、「信頼性↓」をクリックする。
 それにしたがって信頼値を計算し、表示する。
 ある値より低くなった場合、リストから削除する。

(6)この方法のメリット
 ・集約サイトは集約することだけに特化させることができる。
 ・技術的なハードルが低い
 ・集約はするがその信頼性は利用者次第。
 ・ユーザ登録などの囲い込みが必要ない。
 ・集約サイトで表示している情報の責任は
  許諾者に完全にゆだねることができそう。
  だって自身のWebサイトに情報があって
  それを転載しているだけですもの。
 ・将来的に閲覧者が楽曲利用時に、ワンクリックで
  放送曲目を作成できるようにできればなおすばらしい。

芸術系コンテンツデータ販売のインフラとしての少額課金システム

twitterで、音楽を売るということについて
金曜日あたりに少しずつつぶやいていたのだけど
カオマンガイを食べに行ってしまって
途中で終わってしまっていた。

だから、まとめ及び補足をかねて
再度、書いてみる。

さて。
音楽を売るということが
データを売ることと等しくなりつつある昨今。

(もちろん高齢者を中心とする
PCを扱えない人たちにとっては
CDが今後もメインの音楽媒体となるわけだけど)

音楽を売るということはどういうことなのだろうか。

あ、ここでは
録音物としての音楽データを売る行為について
話してます。
音楽を売る=ライブのチケットを売るというのは
ひとまず置いておきます。
(僕がライブしないので)

音楽を聴く人たちにとって
音楽データというのは
その人が望めば、たいていの場合無料で手に入る。
ちょっとした一手間かけるだけで。

YouTubeを検索すれば
たいてい聴きたい楽曲はあがっていて
タダで聞くことができるし
Youtubeにあがっていれば
専用サイトでファイルにしてPCにダウンロードできて
iPodなどに入れてしまうこともできる。
P2Pソフトを使うまでもなく。

もちろんP2Pソフトを使っても
無料で手に入る。

また、友人からタダで音楽データを
CDRに焼いてもらうこともできる。

だから、彼らにとって
音楽データというモノ自体の値段はゼロ円だという
感覚があってもおかしくはない。

僕もYouTubeで音楽を漁ってしまう。

制作者側から見れば
音楽データの値段は、
制作コストと流通コストに分かれていて
インターネットの普及で流通コストが
著しく小さくなっている。
しかし、制作コストはそれほど小さくなってはいない。
つまり音楽データの値段はゼロ円にしたくない。
だから、リスナーと制作者間で
音楽データの値段の感覚にギャップが生まれている。

音楽データという
01000100…みたいなビットの配列は、
いくらでも複製可能だけど
その並びを作るには時間とお金がかかっているというわけだ。

で。
音楽データ自体はタダという感覚の中で
それでも音楽データにお金を払う動機があるとすれば。

「ビットの並びを作ってくれる人への支援」
といった色合いを帯びてくるのではないかと思う。

なぜなら、音楽を愛好する人にとって
音楽データはタダだけど、
それがなくなるのは困るからだ。
これからも音楽を作っていってほしい、だから支援として
音楽データにお金を払う、
という動機と行為はありうる、と思う。

で、そのようにリスナーがいわば
サポーターへと変化するにつれて
つまり、作品ではなく人に対してお金を払うというふうに
変化するにつれて
音楽の評価も作家主義的な傾向の評価に変わっていくのだろうと思う。
作家主義というのは
「あの人が作った音楽だから、すばらしい」
「あの人が作った音楽だから、お金を払う」
という考え方のことだ。
そして、それに呼応して
音楽制作者も作家主義的に評価されやすい作品を作る
方向へとシフトしていくと思う。

例えば
・作品というより生き様を見せる作風
・作品というより面白いパフォーマンスをする作風
・イケメン
・毎回すばらしい作品を作る

最後は王道ですけど。
まあ、なんというか、すくなくとも日本はもともと作品単体より
人を評価する傾向が強いと思うけど
よりそれが極端になるのではないかなと。

つまり、作品単体だけで見れば音楽データでは
ロングテール現象は起こりにくい状況と言える。

また、作家主義的傾向が強まる中
まつきあゆむさんが行っている
M.A.F.は合理的だと言える。
なぜなら、あれはまつきあゆむさん個人を支援する基金だからだ。

ここまでをまとめると

・音楽データの無料環境の普及
・リスナーと制作者との価格感覚のギャップ
・リスナーのサポーター化と作家主義的傾向

という話なのだけど

リスナーのサポーター化は、
今話したように
「一手間かければ無料で音楽が手に入る」
という前提がある。
なので、その一手間よりも、簡単に、より少額(10円とか)で
音楽で手に入ることができれば
その前提が揺らぐ。

従って
少額課金システムの出現と普及が行われれば
一貫して続いている作家主義的傾向からの揺り戻しが
期待できると思う。

少額課金システムというのは
1円とかそのくらいの少額からお金を払うことができるシステムだ。

それが、普及して
ユーザーが手間をかけずに1クリックくらいで
気に入った瞬間に支払いができるようになれば
作品が気に入ったから、という動機で音楽データを購入するようになる、
と思う。

で、僕が思うに、
世の中の音楽、映像、文章、画像、といった分野で
商売を成り立たせる方法として、
「少額課金システムの出現と普及」は
とても有効だと思う。
そして、そのあたりは既にアップルやGoogleやAmazonが狙っていると思う。

似たものとして携帯電話での
ネットの課金の仕組みがあげられる。

で、ここまでは
実は去年の秋・冬くらいにtwitter上で
つぶやいていたのだけど、

そこから知った新たな情報として
少額課金システムを阻む要因があるということ。
小額課金では一回の取引での金額が少ないので
一回の取引にかかるコストの方が上回ってしまう可能性があるようだ。
よくわからないけど。

例えばクレジットカード会社が
一回の取引に10円のコストをかけているとすると
10円の取引では利益が出ないということになってしまう。
この辺がクリアできれば
少額課金システムは成り立つのだろうと思う。

amazonなど現行サイトでの課金で
1ヶ月ごとにまとめて払うサービスがあったりしたら
この少額取引コスト問題は解消できるのかな。

現在の作家主義的傾向にしろ
少額課金システムの少額取引コストの問題にしろ
どちらもわりと過渡期の問題であるには違いないと思う。

グローバル化とは、資本の流動化であるらしいから、
グローバル化が進むなら、流動化の究極である
少額課金のインフラもいずれなんらかの形で整備されるんじゃないかなと
思ったりする。

Quantum Familiesの感想と大手CDショップの現状について

Quantum Familiesを読んだ。面白かった。
未来のネットでは、情報がプログラムによって再生産され
無駄な情報が多くなりすぎて
誰も、ネットの情報を信頼しなくなっている。
という、状況をQuantum Familiesは描写していた。

僕はこれについて考えた。

次に僕は、
人々の少ないHMVやタワレコのことを考えた。
現在、HMVやタワレコには人はあまり集まらないようだ。
音楽を試聴している人も少ない。
僕がいくつかの大手CDショップを最近みた限りではそうだった。

僕はこれについても考えた。

両者は何かで繋がっている。

繋がっているが微妙に異なっている。

かつて。

HMVやタワレコをはじめとする大手CDショップは大盛況だった。
多くの試聴機には既に人が陣取っていた。

なんでか。

「HMVやタワレコに行けば何か新しくて刺激的な音楽に出会える」

そんな期待感があったのだと思う。

特に90年代後半からゼロ年代初頭にかけては
その期待感はピークだったのではないかと思う。

そういう意味でHMVやタワレコは信頼されていた。
間違ったチョイスもあったが、
良いチョイスもあった。
店員がいいと思ったCDを独断で試聴機に入れることができたようだ。
そこでHMVやタワレコは考えたのかもしれない。

「間違ったチョイスを減らして、
良いチョイスをどんどん増やそう。
そうすれば、もっと人が集まって
もっと信頼されるようになる」

そう。普通、人に信頼されるためには、
行動が首尾一貫していなくてはいけない。
まっとうな考えだ。

というわけで、HMVやタワレコは
もっと試聴機に何を入れるかや、店頭ライブを誰にやってもらうかを
吟味するようになった。
つまり、コントロールするようになった。

。。。とそこまで話して、
結論を言うと。

「信頼を得るためにコントロールをしようとしたことが
結果として、信頼を失う結果になった」

そういうことを僕は考えている。

なぜか。
コントロール性と信頼性は
実は微細な力学によってトレードオフの関係に
なっていると思うからだ。

コントロール性と信頼性はある程度は
比例の関係にあると思う。
首尾一貫していることが
信頼性に繋がる。

いい料理屋さんになるには
どんな日でも一定レベル以上のおいしい料理を
提供することが必要だ。

しかし、実はコントロール性が
ある一定より高い世界では、
コントロール性と信頼性の関係は
反比例の関係になると思う。

コントロール性が高ければ高いほど
信頼されなくなる世界。

なぜか。

コントロール性が高すぎると
コントロールして嘘を発信でき、
その嘘を糾弾されることすらコントロールして
回避したりつぶすことができるからだ。
少なくとも人々はそう見ると思う。

例えば。

隙がない人が信頼されないのはなぜか。
逆に、ちょっとどじな営業のほうが信頼されるのはなぜか。
大手企業が時に批判の的となるのはなぜか。
mixiが最近つまらないのはなぜか

僕は、
未来のネットは
コントロール不可能な情報があふれることによってではなく
コントロールされた情報ばかりになることによって
信頼されなくなる、と思う。

そんな妄想。

月1リリース+ダウンロード販売について

なぜ¥150なんですか?

iTunes Storeと同じ価格が妥当と考えたからです。iTunes Storeのビットレートは256kbpsですが、シシドヒナタの楽曲は320kbpsと、より高音質になっています。

試聴は可能ですか?

試聴できます。DL販売している楽曲は全てYouTubeにてフルで試聴可能です。こちらのページ(http://www.youtube.com/shishidohinata)へアクセスください。

Youtubeのリッピングやmp3ファイルのコピーはしてもいいですか?

勇気ある質問です。結論から言うと、リッピングやコピーはしてもかまいません。むしろ大歓迎です。商用利用もかまいません。もちろん、購入していただいたほうがより嬉しいですけど、「何回も聴きたいから」とか「人に薦めたいから」という理由で行うなら同じくらい僕は嬉しいですし、聴いていただけること自体が嬉しいです。
つまり、「一度DLされたファイルについてはシシドはコントロールするつもりがない」というスタンスです。Youtubeのリッピングは下記のサイトから簡単にできます。

http://www.tubefire.com/

なぜこんなユルい売り方をするんですか?

それは今回の目的が、「多くの人に聴いてほしい」だからです。メジャーなアーティストなら、たとえば1%の視聴率の深夜番組でも流れさえすれば、1.2億人×1%=120万人の人々に聴いてもらえます。しかし、シシドはインディペンデントなので、楽曲を聴いてもらうにはゲリラ戦のような工夫にあふれた方法が必要です。そこで僕がなんとか考えたゲリラ戦法が、月1リリース+DL販売+Youtube無料試聴というわけです。

だから、僕が期待しているのは
僕の音楽を聴いた人たちが、誰かに薦めてくれることです。
映像を作るのに、僕の楽曲を使ってくれることです。
僕の楽曲を使って、別の曲を作ってくれることです。
こんなアホな売り方をしている奴がいると、人々に広めてくれることです。
僕はその為に、できるかぎり障害を取り除き、様々な仕掛けを用意したいと思っています。

しかしもし、お金(¥150)を払って購入していただけるなら、それは制作の資金になるのでシシドの次の楽曲のクオリティに直結して、とても嬉しいです。

Ustreamやその他インターネットラジオで放送してもいいですか?

いいです。大歓迎です。特に代金はいりません。もし、僕の楽曲が気に入ったならば、積極的に人々に知らせてほしいです。放送することを教えていただけるとなお嬉しいです(事後報告も嬉しいです)。もし教えてくれたなら、放送していただけることを「News」としてこのWebサイトに載せたいと思います。

ずっとDL販売+Youtube無料試聴をするのですか?

いいえ。1年間、月1リリースをして、終了します。つまり2011/2/3まで、DL販売+Youtube無料試聴します。その先も続けるのか、Youtube無料試聴だけは残すのか、などといったことは1年が終わってからまた決断したいと思います。

もっと腹黒いことを教えてください。

はい。教えます。1年後にCDのアルバムをリリースをしたいと考えています。その時にお金を回収したいと考えています。ぶっちゃけていうと、今回の月1リリース+DL販売+Youtube無料試聴は、その為のプロモーション活動といえます。
とはいえ、もっと別の方法で、シシドと関わってくれた人たちとリスナー、それぞれがハッピーになる方法があれば、CD化はやめてその新しい方法をとると思います。

もっともっと腹黒いことを教えてください。

インディペンデント・アーティストの活動方法のモデルケースの一つになって、参照される存在になりたいです。また、モデルケースの一つとして、批判される存在になりたいです。それによってさらに音楽を聴いてもらえることを期待しています。

もっともっともっと腹黒いことを教えてください。

もっともっともっと腹黒いことを言わせてもらうと将来的にポールマッカートニー氏とレディオヘッドのメンバーとスティービーワンダー氏とユーミン氏とUA氏に会いたいです。友達になってたくさん話をしたいです。
あとスパイク・ジョーンズ氏とミシェル・ゴンドリー氏にも。
あ、あと、穂村弘氏と雪雪氏にも。
あ、そうだ、あと。。。(エンドレス)

最後に。

このページにサイトに訪れていただいた全ての人に感謝します。シシドヒナタの曲を楽しんでいただけたなら嬉しいです。ありがとう。

なぜ「月1リリース」なのか

なぜ、僕は「月1リリース」をするのか。
僕なりに理由を用意してある。
簡単な言い方をすれば、
「ライブに変わる定期的なイベントを用意したかった」
ということになる。
では、なぜ「定期的なイベントを用意したい」のか
僕はそこで銀行の積み立て預金のようなものをイメージしている。
って言ってしまえばもう
ほとんど説明は不要なのかもしれない。
でも一応説明する。
まず、リスナーをいちげんさんと常連さんに分ける。
いちげんさんは、初めてシシドの楽曲を聴く人のことだ。
視聴に至った理由は、僕のブログの記事かもしれないし、
誰かが薦めてくれたからかもしれないし、
たまたまYoutubeなどで通りかかったのかもしれない。
一方、常連さんはすでにシシドのことを知っていて
シシドの活動を気にかけてくれている人だ。
実際にチェックしてくれているかもしれない。
僕は、
「月1リリース」をすることで、
常連さんを増やすことができる、と考えている。
1年12回リリースをするとすれば
人々がシシドの楽曲を気に入ってくれる機会を
12回持つことができるからだ。
そして、常連さんを増やすことで
間接的にいちげんさんを増やすことができる。
とも、僕は考えている。
なぜなら、常連さんの口コミを期待できるからだ。
つまり、
いちげんさん獲得の数は常連さんの数に比例する、と予想する。
もう一つ理由がある。
同じく、1年12回リリースをするとすると
その12回の機会をうまく使えるかは
僕しだいだ。
しかし、アルバムを一回リリースしておしまい、
というのよりはずっとよい。
つまり、僕は12回もプロモーションを試行錯誤できる。
1曲ずつリリースするということは
その1曲のイメージにあわせたプロモーションを
企画できるということだ。
それは僕の作風とあっているような気がする。
また、自分の作る曲の何が好まれ、
何が退屈なのかもわかってくるだろう。
デメリットもある。
アルバムのリリースなら1回なのに
それを12分割するのだから
一回のプロモーションにかけるお金も12分割だ。
しかし、メジャーレーベルでないのだから
そもそも予算はとても少ないのだ。
であればむしろ、月1リリースで常連さんを増やし、
1stアルバムを購入してくれる人が
増えればそれだけ予算も増えるではないかと。
というわけで、
「月1リリース」と決めることで
「自分の音楽をいかに人々の生活に潜ませるか」
という問題の一部は
「1曲1曲に対してそれぞれどんな届け方をするか」
という問題に置き換わる。
多分、この取り組み方は、
「週1リリース」では
あわただしすぎてすることができない、と予想する。
そんな時間の余裕が僕にあるわけでもないし。
僕は結局1曲1曲時間をかけて作ってしまうわけだから
(それは僕の能力的な限界でもある)
売り方もそれぞれ時間をかければいいと思う。

「やっぱり夢を売る商売だから」って言った人がいたなあ

「自分の音楽をいかに人々の生活に潜ませるか」
について、考えたことも記事にしていきたい。
普通、音楽を売る人たちは
そういった裏側を見せたがらない。
なぜか。誰かが
「やっぱり夢を売る商売だから」
と、回答した人がいた気がする。
僕は彼らとは真逆を行くことにする。
「どうすればたくさんの人に聴いてもらえるか」
それについて考え、実行したことを
記事にしたいと思う。
僕はその理由を用意してある。
一つは
「音楽を作る人たちにとって
音楽をどのように売っていくかは
興味ある問題だから」だ。
現在音楽業界は
CDを作って、
マスメディアを通して宣伝して、
CDショップで売る
などといった、これまでのやり方から
大きく変わろうとしている。
だから、
僕の試行錯誤は
その一つのテストケースとして
興味がそそられるものになるのではないかと
予想している。
その結果、僕のブログに訪れる人が増え
楽曲を聴いてくれる人が増えるかもしれない
と期待しているのだ。
二つ目は
試行錯誤の様子を記事にすることで
僕のことを応援してくれる人が
増えるかもしれない、ということを
期待している。
その結果、ブログ訪問数増加→楽曲試聴数増加
を期待、と。
三つ目は
後戻りできなくする為、
自分に言い聞かせて、勇気を持つ為だ。
いやあ、くどいな相変わらず俺の文章は。
それに、今までもこんな感じで書いてきたから
あまり変わらないっちゃかわらないな。。。

渋谷のツタヤに行った。

渋谷のツタヤに行ったら、
6階の本売り場が若者でいっぱいだった。
特にギャル。
考えてみたら、今の若い世代の文化は
携帯というインフラを前提とした文化であり、
それはプロフ、メール、ケータイ小説
などの単語でもわかるとおりテキスト文化だ。
(年寄りの僕がかろうじて持っている、にわか知識からの考えなんだけど)
だから、活字離れという
今までの若者の評価は
今の若者には必ずしも当てはまらないのかもしれない。
文章というのは、読むという行為に
抵抗さえなければ
読めば読むほど訓練されて
よりいろいろな文章が読めるようになっていく
ものだと、僕は思う。
であるならば、
ブログで文章を書く、という行為は
今後若い人たちへのアピールとして
重要になってくるかもしれない。
じゃあがんばろ。
一方、2階のCD売り場はあまり人がいない。
試聴機で聴いている人も少ない。
CDが売れていないという現実を
目の当たりにした感じだった。
僕もフロアをうろついていて、
あまりそそられなかった。
もしかしたらそれは渋谷のツタヤだけの現象なのでは?
という意見もあるかもしれない。
しかし、秋葉原のヨドバシカメラでも
書籍売り場には人がいっぱいいるのに
同じ階のタワレコにはそれと比べて人が少なくて
活気がない。
で、やっぱり僕もあまりそそられなかった。
渋谷のタワレコも人が少なかった。
先週会った
うちのレーベルの主宰も
最近はCD屋に行っても
あの規格化されたプラスチックケースが
ただ、整然と並んでいるだけに見える
と言っていた。
何か急速に、
CDというものが魅力的じゃなくなって行っている
かのようにも見える。
一方、僕は最近はもっぱら新しい音楽を聴くのは
Youtubeか、Myspaceだ。
特にYoutubeが多い。
いや、ここは話をCDに戻そう。
もはや、CDを作ってCDショップに
入荷してもらう、という行為は
それに伴うメリット・デメリットを考えると
(特に僕のようなインディペンデントな作り手は)
メリットは減少し、
デメリットが勝ってしまうのかもしれない。
CDのプラスチックケース、
あの規格化されたパッケージは
主に小売店への流通や
陳列における効率性を
考えた結果のものであるはずだ。
だから、もし、CDを作るとしても
必ずしもあのプラスチックケースありきで
考える必要はないのかもしれない。
(もちろんリスナーの使い勝手は考慮する必要があると思うが)
CDショップに入荷してもらう為の
営業や企画をがんばるより
ネット上でいかに音楽を聴いてもらう
機会を提供できるかを
考えたほうがいいのかもしれない。
(どちらかに労力を注ぐとするならば)
CDショップの立場で考えるならば
(誰でも考えつくようなあさはかな考えだけど)
大手CDショップよりは
ある程度自分のセンスで
入荷して紹介していくような、
小さくても機動力、企画力のあるCDショップのほうが
将来性があるのかもしれない。
そして大手CDショップがかつて持っていた役割は
アマゾンとYoutubeが吸収してしまったように見える。
僕は今年は、
今考えたようなことも頭に入れつつ
自分の活動をしていくつもりだ。

音楽と「ながら」とUstreamとまつきあゆむさん

テレビやラジオやゲームやメールやインターネットは
人々の貴重な時間の奪い合いを
日々繰り広げている、
というのは、何かに書いてあった話。
その中で、音楽は割と「ながら」をしやすい
ジャンルである気がする。
メールをし、インターネットをしながら
音楽を聴くのは、割と簡単だ。
電車に乗りながら、友達と話をしながら
音楽を聴くのも、割と簡単だ。
これは他のジャンルと比べたとき
音楽の強みなんだろうと思う。
一方、比較的「ながら」のしにくいジャンルは
その弱みが逆に強みとなる。
つまり、その時間を独占できるのだ。
もちろん、「ながら」は個人差の問題でもあるので
テレビを見ながら
ゲームとメールとインターネット
をしつつ宿題をこなす人もいるだろう。
それは置いておいて。
それらの理由で、Ustreamは面白いが
危険も伴う。つまり、Ustreamは
比較的排他的メディアと言えると思う。
テレビちかい。
そんな中で
まつきあゆむさんの試みは面白いなと思う。
http://d.hatena.ne.jp/matsukiayumu/20091118
あの時間帯、彼の試みに興味を持った人々の時間を
大きな程度、占有したと思う。
あれは、参加した人はわくわくするだろうなあ。
創作をエンターテイメントに変換している。
僕も何かしたいし、しなくてはいけない。
だけど、あんなに素早く曲を作ることはできないなあ。
結局、彼は彼の能力を生かしたアテンションの獲得方法を模索しているわけで
僕も僕の能力を生かした方法を模索しないといけない
(いやまあ、日頃考えてはいるんだけど)。
僕のものすごく限定された能力を
何とか生かす方法を。
で。
僕の能力って何だっけ?

twitterとフリスビーと音楽

ここ最近、ブログの更新が停滞しているのは
僕のせいじゃない。twitterのせいだ。
くだらないつぶやきは全て
ここに吐いてしまっている。
最初、断片的につぶやきを投稿することで
中途半端に文章を書く意欲が充足されて
長い文章を書く気力がなくなってしまう
ような気がしたけど、
そのとおりになってしまったということか。
まあ、その程度のことで
気力がなくなってしまう程度の意欲だったとも言える。。。
当初、twitterを始めたのは
何か音楽活動の足しにならないかと思って
始めてみたのだけど、なんだろ。
なんの足しになるのか未だによく見えない。
足しにはならないのかも。
しかし、twitterの持つ「リアルタイム性」
というのはちょっと面白い。
Ustreamで僕が弾き語りをライブ配信してみたりすると
リアルタイムにその反応が返ってきたりと
何か可能性は感じる。
twitter全体が一つの大きな部屋みたいなものなのだと思う。
大きな部屋で、一人で好きなことをやっていて
時々近くの知り合いと話をしたり
彼らがやっていることを眺めてみたりする。
そんな感じだ。
その比喩でいうとmixiは
個室があって廊下があって
それぞれ知り合いの部屋に繋がっている感じだ。
個室だからあまり他人の様子は見えない。
ドアののぞき窓ごしに彼らのやっている様子が
ちらっと見える。
ちゃんと見たいときは、
ドアを開けて彼らの部屋を訪問しないといけない。
みたいな。
イメージでしかないんだけど。
twitterにはmixiでいうコミュニティは存在しない。
その代わり、なんとなくグループみたいなのは
形成されているみたい。
他人のつぶやきの様子から
それぞれの人間関係のグループが垣間見える。
そういうのをクラスターと呼ぶらしい。
この間、直接の知人のいないクラスターで
毎週土日にフリスビーをやっているところがあって
なんでか、参加してみた。
駒沢公園でフリスビーを投げてみた。
知らない人々とフリスビーを投げ合って
twitterのidを交換しあった。
友人は「21世紀型リア充だ」と言っていた。
何か不思議で新鮮な体験だった。
フリスビーみたいなスポーツは
人々と共有しやすいのかなあ。
音楽はそうはいかないな
大きな音は周囲に迷惑をかける可能性があるから
集まって大きな音を出すには
いろいろと配慮や手配が必要だ。
すると、どうしても
手配する側(主催)-招かれる側(客)という関係が
できあがってしまい、
主催の負担は大きくなる。
また、騒音を考えるとたいてい屋内になるから
スペースやらの関係でどうしても
閉じた人間関係を作りやすくなる気がする。
フリスビーみたいなスポーツというのは
オープンな方向に向きやすいものである気がする。
音楽は何をやるにも
送る側と受け取る側に分かれる必要があって、
また、場所を制限するので
最終的にそれは
音楽をよりパーソナルなものにする要因と
なっている気がするけど
パーソナルというのは閉じた関係の究極だよなあ。
この現代の音楽が持つ構造的傾向、
というのは面白いな。
そしてこの記事はとりとめがないな