前回の記事で書いたMVについてなんだけど、あんまり刺激的な結論には至らなかった。で、後でまた考えた。
現在のテレビというものは、未だ人々に認知してもらう力がとても強い。だから、放送さえされればある程度の認知度は見込めると(視聴率1%でさえ100万人への認知だ)。一方ネットはテレビのような「認知させる力」は自明ではなく、従って「認知させる力」を別の何かから調達したり構築したり、MV自体がそれを兼ね備える必要が出てくる。そこが考慮されていないと、せいぜいがアーティストイメージの醸成ツールにとどまる、ということなのかなと。いや、アーティストイメージはそれはそれで重要なのだけど。
つまり音楽番組などのテレビの放送枠に入り込むことがMVを使用したプロモーションの第一優先事項であり、その次の優先事項がアーティストイメージの醸成考えるという感じなんじゃないか。バンド本人を出演させた映像が多いのは、アーティストイメージの醸成には本人を出すのが有効だと考えられているからなのだろう。
というわけで、これからのMVは「認知させる力」を兼ね備えることを要求されることが多いんではないかと思う。つまり、口コミを誘発させる力だ。
従来のテレビで放送されることが考慮されたMVと、ネットでの「認知させる力」を考慮したMV。それらを比較するのに最適な例として、サンボマスターのラブソングがある。この楽曲は公式MVと箭内道彦氏による自主制作版が用意されている。
・公式
・自主制作
一目見てわかると思うけど、ネット上での「認知させる力」を兼ね備えているのは自主制作版だと思う。自主制作版のほうが人々に共感を抱かせやすいと思う。その共感によって人々は、他の人に薦めたりし、結果として口コミが発生しやすくなっていると思う。
公式MVは、僕はテレビ用のMVとしてちゃんとしていると思う。しかし、これで口コミが発生するかというと、難しいんじゃないかと思う。
なぜ、そうなのか。ちょっと僕にはうまく説明できる自信がない。
でもまあ、書いてみる。
公式MVは、一つには説明的すぎるのかもしれない。
・男性が浜辺で泣き崩れて(悲しいことがありました)、
・傍らには焼いたラブレターが置いてあって(女性と別れました)
・車の中でサンボマスターのボーカルが歌って(サンボマスターの楽曲です)
・おぼろげに女性の姿が映って(女性のことを思い出しています)
僕はこの映像との間に距離を感じてしまう。MVが提示している物語に対して「ありがちな物語だな」と感じてしまう。感情移入はしない。
一方、自主制作版はその粗く手ぶれしまくりの映像にもかかわらず(いやだからこそなのか)、そのように突き放した見方はできない。説明されている感じはしない。ありがちな物語とも感じない。普遍的な喪失感が凝縮されている、みたく感じてしまう。
その仕組みは僕にはうまく説明することはできない。だけどこの自主制作版は見事に人々の共感を引き出していると思う。
話を戻す。ともかく言いたいのは(完全に憶測でしかないが)、自主制作版は共感→口コミというルートが明確な、「認知させる力」のあるMVということだ。
「認知させる力」を兼ね備えさせるには、何も「共感」だけではない。OK GOのMVは、ルーブ・ゴールドバーグ・マシン(ピタゴラスイッチ)的な映像によって口コミを発生させることに成功していると思う。
なんか書いてていつの時代の話をしているんだよって気がしてきた。。。
これらのことだって昔から言われてきたじゃんか。。。
もうちょっと考えないと。。