「才能」という言葉を信じていない。
「才能」という言葉は人の能力というものについて誤解を与えやすい言葉である気がする。
「能力」という言葉は、現実に今、発揮可能な力のことだ。
「彼は作曲する能力がある」と言った場合、
彼は今、作曲することができる、ということだ。
しかし、「才能」は違う。
「彼は作曲の才能がある」と言った場合、
必ずしも今、作曲できることを意味しない。
将来、作曲することができるかもしれない、ということを含んでいる。
才能という言葉の使われ方には
いくつかパターンがあるように思う。
・「自分に才能があるかわからない」という使い方
この使い方の場合、
彼は、
「将来の成功が保障されているか保障されていないか、わからない」
と言っている。
僕の考えでは、成功が保障されていることなど存在しない。
したがって、そのように悩むのは無駄といえる。
つまり、彼は単にまだ覚悟がないと思われる。
自分の人生を何に浪費するかに対して。
・「僕には才能がある」という使い方
これは、「将来的に自分が成功する、と信じている」
と言っていることになる。
さきほど言ったように必ずしも現在の能力は問われていない。
したがって、その自信に根拠がない場合がある。
しかし、それ自体は別に悪いことではないと思う。
根拠のない自信はないよりあったほうがいいと思う。
・「自分には才能がなかった」という使い方
これは何かを諦めるとき、すっぱり足を洗うための、
勢いをつけるための言葉だ。
「世の中には「才能」という、
自分の努力ではどうにもならないものがあって
それが僕には与えられていなかった」
と言っている。
はじめから、成功に必須のものとして
「才能」というものがあって、
それが自分には与えられていないから
諦めることが合理的だ、というふうに彼は考えている。
これらを総合すると、
才能がある、なし、あるかわからない、この3つの使い方において
「成功に必須の何かよくわからないもの」
という意味では共通しているようだ。
「成功に必須の何かよくわからないもの」
というのは、
僕は何か挑戦するに当たって考える必要のないことであるように思う。
だって、よくわからないものは、探りようがないのだから。
人の能力というものをブラックボックスとしてとらえていては、
成長することはできない。
なぜなら、能力を伸ばすには、
適切なトレーニングや準備や環境が必要で、
適切なトレーニングや準備や環境を手に入れるには、
その能力について、それがなんなのか考えることによってのみ
手に入れることができるからだ。
成長がなければ、まず成功はない。
また、その能力を手に入れることができないとわかったなら、
自分が手に入れることのできる、あるいはすでに持っている能力を
組み合わせることで代替できるかもしれない。
「大事なのは才能がないと嘆くことではなく
自分が持っている能力をいかに工夫して組み合わせるかなんだ。
君らはわかっていないが。」
高校時代、生徒に大変不人気だった教師が
授業中に言った言葉。
僕も苦手だったが、これだけは覚えていようと思った言葉だ。
スコップがないので穴は掘れないと考えるか
スコップの代わりがどこかにないか探そうと考えるか。