女性で子どもの頃、
人形遊びなどしていた人は多いと思う。
それと。
女性は一般に男性と比べて、
コミュニケーション能力が高いと言われている。
この2つを無理矢理くっつけると次の結論が出てくる。
「コミュニケーション能力は
相手が人間じゃなくても磨くことができる。」
いやー。我ながら無理矢理だ。
で、このまま暴力的に考え続けてみる。
「コミュニケーション能力は
相手が人間じゃなくても磨くことができる。」
これは
相手が生き物でなくてもいい。
相手が人形という、非生物であってもいい。
自分の子どもの頃を思い出すと
自分の大事にしている人形には、
人間でもなく
かといって動物でもないのだけど
何かまさに世界に唯一の存在というか
友人というか
守ってくれるというか
そんな人格のある物体のようなものだった。
でも、現実の世界は
彼らは動きもしないし、
しゃべりもしない。
でも、子どもの頃の僕は
彼らを
動くし、しゃべる、存在と見なしていた。
で、さきほどの無理矢理な結論と考え合わせると
「コミュニケーション能力は
自分がコミュニケーション可能と思い込んだ相手さえいれば
磨くことができる」
という結論になる。
コミュニケーションするには
コミュニケーション可能と自分が思い込むことが
十分条件となる
と言っているのと同じだ。
人間は誰とでも死者とも物体ともコミュニケーションできる
と言っているのと同じだ。
だって、女子は人形相手にコミュニケーションの練習をしているんだぜ?
そんな馬鹿な!と思うだろう?
ええ。僕もそう思います。
これは間違いだと思う。
しかし、僕たちのコミュニケーションに関して
重要な示唆をしているように思ったりする。
コミュニケーションというものの性質の一つの。
断絶が前提になっているということの。
コミュニケーションというのは
コミュニケーションの不可能性が
前提になっているということの。