以下、ツイッターで人の迷惑を顧みず
つぶやきまくったテキスト。
せっかくなのでブログの記事にしてしまう。
「個性というものに関するシシドヒナタの視点、について、書いてみてしまう。聞いてみたい、という人がいたので。。。(実はしゃべりたがり)」
「ええと、個性については、僕も思うところがあります。と。」
「なぜなら、僕はものすごく臆病で、なんとかして「なるべく人に聞かせないで、自分の曲について自信を持ちたい」という都合のいい願望を抱いていたので、作る曲についての理論武装は必須だったのです。」
「僕の結論では、個性とは何か。要するに「個性」という言葉の定義なんですけど、どう考えても「個性」というのは「人と違う性質」という以上の意味を持たない、というのが僕の結論になります。」
「「個性」というのは「人と違うこと」という意味でしかなく、それ以上でもそれ以下でもなく、個性自体に何か特別な価値があるわけでもない」
「では、音楽や芸術の世界で、なぜ個性が重要視されるのか。」
「世の人々はまず大前提として「個性は重要」という公理があって、そのあとすぐに各作品に対して「個性がある、ない」という話に進んでしまう。それは僕にとっては疑問でした。」
「自分では個性が特にないし、どのようにすれば個性と人が呼ぶものが手に入るのかわからない僕にとっては個性が何なのか、そしてなぜ個性が重要視されるのか理解するのは死活問題だったと思います。」
「ああ、話がとっちらかってるな」
「いきなり結論に行ってしまうのですけど、個性が重要視されるのは、他人がいるからだ、と僕は思いました。」
「音楽を作る人がもし、過去から未来まで僕一人であればそこに個性という考えの入る余地はない。」
「個性という考えは、他人がいて初めて成り立つ考えだ。当たり前か。」
「で、音楽や芸術、といった分野においては、それは他人との競争というものと関係してくる。」
「つまり、個性という考えは他人と競争することにおいて必要な考えだ。」
「もっというと個性というのは、自分の作品を残すための戦略の一つだ。」
「ものすごく反対する人が多そうだけど、これは真実だと思う。」
「音楽というのは文化というものの一種だ。文化というものは歴史というものを持っていて、歴史というのは時の流れのことだ。」
「時の流れが音楽という分野にどう影響を及ぼすかと言うと、先行する作品は後続する作品に対して影響を及ぼす、っていうふうになる。」
「うわ、わかりにくい」
「つまり、後続する音楽家は先行する作品を聴く中で自分たちの作品を作るので、先行する作品からの影響を必ず受ける、ということだ。」
「したがって、原則として古ければ古いほど音楽は影響力を持つ。」
「そして、似た個性を持つ音楽作品が2つあった時、生き残りやすいのは古い作品のほうだ。」
「なぜなら、後続する作品は「先行する作品○○と似ている」と言われ、結果として先行作品の広告塔になってしまうからだ」
「つまり、音楽の歴史は「先にやったもん勝ち」の歴史であり、したがって個性は生存競争の戦略の一つとみなすことができる、はず。」
「なんかわかりにくい文章のような気がするなあ。」
「というわけで、「個性」とは「人と違うこと」にすぎず、「音楽の歴史の中での生存競争でとても有用な戦略の一つ」というのが僕の結論。」
「今のがシシドヒナタ的個性論の理論編。で、次が実践編。」
「理論編は、個性がなぜ音楽において重要視されるのか。をシシドなりに考えた結果でした(個性崇拝は思考停止よ!というメッセージでもある)。」
「実践編は、じゃあどうやって個性というものを手に入れるのか。これはシシドの人間的特性に合わせたものなので、人によってはあてはまらないかもしれない。」
「あ、理論編に補足すると、僕も音楽を聴くときは個性がどうたらとかなんも考えていない。ただ単に好きか嫌いかです。」
「実践編は話が簡単です。「個性」というのが「人と違う」のであれば、むしろ作る作品が他人と似ているほうがおかしいともいえる。」
「なぜなら、自分と他人は違うのだから。存在している位置からして違う。存在する位置が違えば見える景色が異なっていて、それはもはや同じ経験をしているとは言えないはずだ。だから、僕と他人は全く違う。」
「聞いてきた音楽が全く同じであることも考えにくい。音楽のセンスがそれまで聞いてきた音楽に依存するなら、僕は他人とは聞いてきた音楽が曲目、再生回数ともに全く異なるのだからセンスもことなるのは当然だ。」
「僕の音楽センスは他人と異なる。完全に。」
「曲作りというものが、出てきた音に対する取捨選択の連続であるとするなら、そしてその取捨選択が自身の音楽のセンスに依存するのなら、できあがる音楽は他人と異なるセンスによって作られた「個性のある」作品になるはずだ」
「また、取捨選択される音を出す手段が例えば、ギターを弾いて歌ってみる、であるならば、それはその人の身体に依存することになる。」
「身体はどう考えてもその人固有のものだ。その人固有の癖を持つ身体から出された音はどうにもこうにも固有になってしまう。はず。」
「したがって、曲作りにおいては音を出す過程も、出てきた音を取捨選択する過程もその人固有の過程にならざるを得ない。」
「というわけで、実践編の結論は「好きにやればいい」です。どうやったって個性が反映するのだから。好きなものを選んで作れば個性的になるはず。」
「ただし。」
「それには自分自身がリスナーとして、音の好き嫌いを判断する必要があると思う。」
「あーうまく言えてない気がする」
「つまり、例えば演奏して好きな音と聞いて好きな音は違うと思う。」
「いっくら演奏してて、この感じ好きだわーとか思っていても、それは演奏者として快感なだけかもしれない」
「最終的に届けるべきは、リスナーとしての自分が「いい曲」と思えることが重要なのだから、「演奏が楽しい」とは区別する必要がある。」
「ああ。もっと実績があって語るならもう少し箔がつくのになあ」
「ええと、いい加減連投は人々の迷惑なのでそろそろおいとまします。」
「最後に。だから、個性は音楽の歴史では生存競争に勝つ戦略であり、自身の身体や記憶に従って作られた楽曲はおのずと個性的である。だから、僕は常に自分がもっとも厳しいリスナーとして「僕自身が買うかどうか」を基準に曲を作りたい所存であります。と。」
「長文連投失礼しました。。。」
こうして見てみると
僕は本当に文章がヘタクソだなあ。
文体も統一されていないじゃないか。
もっとうまく言えるはず。
精進せねば。
よみにくい