twitterとフリスビーと音楽

ここ最近、ブログの更新が停滞しているのは
僕のせいじゃない。twitterのせいだ。
くだらないつぶやきは全て
ここに吐いてしまっている。
最初、断片的につぶやきを投稿することで
中途半端に文章を書く意欲が充足されて
長い文章を書く気力がなくなってしまう
ような気がしたけど、
そのとおりになってしまったということか。
まあ、その程度のことで
気力がなくなってしまう程度の意欲だったとも言える。。。
当初、twitterを始めたのは
何か音楽活動の足しにならないかと思って
始めてみたのだけど、なんだろ。
なんの足しになるのか未だによく見えない。
足しにはならないのかも。
しかし、twitterの持つ「リアルタイム性」
というのはちょっと面白い。
Ustreamで僕が弾き語りをライブ配信してみたりすると
リアルタイムにその反応が返ってきたりと
何か可能性は感じる。
twitter全体が一つの大きな部屋みたいなものなのだと思う。
大きな部屋で、一人で好きなことをやっていて
時々近くの知り合いと話をしたり
彼らがやっていることを眺めてみたりする。
そんな感じだ。
その比喩でいうとmixiは
個室があって廊下があって
それぞれ知り合いの部屋に繋がっている感じだ。
個室だからあまり他人の様子は見えない。
ドアののぞき窓ごしに彼らのやっている様子が
ちらっと見える。
ちゃんと見たいときは、
ドアを開けて彼らの部屋を訪問しないといけない。
みたいな。
イメージでしかないんだけど。
twitterにはmixiでいうコミュニティは存在しない。
その代わり、なんとなくグループみたいなのは
形成されているみたい。
他人のつぶやきの様子から
それぞれの人間関係のグループが垣間見える。
そういうのをクラスターと呼ぶらしい。
この間、直接の知人のいないクラスターで
毎週土日にフリスビーをやっているところがあって
なんでか、参加してみた。
駒沢公園でフリスビーを投げてみた。
知らない人々とフリスビーを投げ合って
twitterのidを交換しあった。
友人は「21世紀型リア充だ」と言っていた。
何か不思議で新鮮な体験だった。
フリスビーみたいなスポーツは
人々と共有しやすいのかなあ。
音楽はそうはいかないな
大きな音は周囲に迷惑をかける可能性があるから
集まって大きな音を出すには
いろいろと配慮や手配が必要だ。
すると、どうしても
手配する側(主催)-招かれる側(客)という関係が
できあがってしまい、
主催の負担は大きくなる。
また、騒音を考えるとたいてい屋内になるから
スペースやらの関係でどうしても
閉じた人間関係を作りやすくなる気がする。
フリスビーみたいなスポーツというのは
オープンな方向に向きやすいものである気がする。
音楽は何をやるにも
送る側と受け取る側に分かれる必要があって、
また、場所を制限するので
最終的にそれは
音楽をよりパーソナルなものにする要因と
なっている気がするけど
パーソナルというのは閉じた関係の究極だよなあ。
この現代の音楽が持つ構造的傾向、
というのは面白いな。
そしてこの記事はとりとめがないな

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